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夢の種をまく

 

 

平成29年10月~平成30年4月まで、西日本新聞に毎週1回掲載いていたものです。

各コースの学生の様子がよくわかります!

 

 1. プロローグ -農の担い手と指導者を育成-
 2. 人工授精師(上) -牛乳出すのはメスだけ-
 3. 人工授精師(中) -優しく入れてやらにゃ-
 4. 人工授精師(下) -限られた命と向き合う-
 5. 養鶏(上) -じいちゃん「命」の教え-
 6. 養鶏(中) -動物の世話「一番の幸せ」-
 7. イチゴ(上) -忙しさ 半端じゃない-
 8. イチゴ(下) -最高品めざして腕磨く-
 9. ディーラー(上) -やりがいあったけど…-
10. ディーラー(下) -やること見つかった!-
11. モモ -経営者の目線で学ぶ-
12. 農福連携(上) -農家の魂に触れて-
13. 農福連携(下) -人生の1ページつくる仕事-
14. 農業女子(上) -頭を使えば負けない-
15. 農業女子(下) -生きている実感が違う-
16. 花きコース(上) -父親の姿に魅力感じ-
17. 花きコース(下) -地域をつくる一人に-
18. ブドウ(上) -シェフから転身 なぜ-
19. ブドウ(下) -食、観光も取り入れて-
20. 雇用就農 -雇用就農という選択-
21. 総合コース -ほとんどの作物を体験-
22. 研修科(上) -1年後の自立を目指し-
23. 研修科(下) -いろんな経験が生きる-
24. エピローグ -花を咲かせ実を結ぶように-

 


 

 1. プロローグ -農の担い手と指導者を育成-

「よいしょ、よいしょ」「きつー」「ほら、せめてこのハウスの半分は終わらせるぞー」

「おー」

 7月の九州北部豪雨で甚大な被害に遭った福岡県朝倉市。災害から1週間後、福岡県農業大学校(農大)OBの花農家のビニールハウス約40㌃が濁水に漬かって困っているという報告を聞いた校長の私は、一輪車とスコップを車に載せ、花コースの2年生5人を連れて応援に行きました。
 現場に着く間に見たのは、泥に埋まって赤茶けた田んぼ、濁流で変形してしまったビニールハウス群…。想像を超える風景に学生ともども息をのみました。
 OBのハウスにたどりつくと、鉢物の花は泥だらけになり、地面には10㌢を超える泥の層。30度を超える気温の中、まずはその泥を運び出すことから始めましたが、水を含んだ山土なので、スコップにはまとわりつくし、重いしで、作業は困難を極めました。
 学生たちがいつ悲鳴を上げるか。実はそれも心配だったのですが、「校長先生、これだけの被害なら、先輩も今年は収入がなかとでしょ、専業農家なのに。はよ、復旧させてやらな!」「そうたい。たった1回の支援でよかとですか。オレたち、毎日でも手伝いに来てもよかですよ」
 うう、泣かせるじゃないか。普段は頼りない学生たちが、とても頼もしく見えてちょっぴり感動しました。でも、毎日はねえ。

 基礎研究が中心の4年制農業大学に対して、農大は実践重視で半分以上を実習が占めるのが特徴です。農業の担い手と、農業試験場職員など指導者育成のため1980年、県が筑紫野市に開校しました。主に高校卒業後、基礎から学ぶ「養成科」(2年制・1学年50人)と、就農を目指す社会人が大半の「研修科」(1年制・20人)があります。
 県農林業総合試験場に隣接する敷地152㌶に100人以上が寝泊まりできる寮や食堂を完備。講義を受ける教育棟、実習用の田んぼや畑、30棟を超すハウス施設など農業を一から十まで学べるさまざまな条件がそろっています。
 農業を取り巻く状況は厳しさを増すばかり。でも、そんな中でなぜ学生たちが一生の仕事として農業を選び、農大で学んでいるのか。奥深き農の世界に飛び込み、夢の種をまく若者たちの思いや悩みをリポートします。はてさて、どうなりますことやら。

(福岡県農業大学校校長)

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 2. 人工授精師(上) -牛乳出すのはメスだけ-

 福岡県農業大学校の畜産コースで乳用牛、肉用牛、豚、鶏を学ぶ学生は全部で8人。隣接する県農林業総合試験場の畜産部で、毎日実習をしています。
 普段、皆さんが飲んでいる牛乳の「生産者」は、ホルスタインという白黒まだらの乳用牛が主流。とても乳量が多い牛で、毎日30㍑もの牛乳を出します。
 今では、口蹄疫などの伝染病が発生するリスクを避けるため、なかなか農場には入れてもらえませんが、以前、私が農業改良普及員をしていた頃、食農教育で親子連れを案内したことがありました。
 「この牛たちは、ホルスタインという乳用牛で、みんなメス牛です」
 すると、ある母親が「あらま。乳牛ってみんな牛乳を出すと思ってたわー」
「えっ」という声が出そうになりました。が、そこは抑えて「ご存じとは思いますが、この牛たちはみんな子牛を産んだばかりです。牛も動物ですから、子牛を産まない限りお乳は出ませんから」。
と、またまた彼女が「まあー、それじゃあ、私たちと同じじゃない」
 再び「えっ」を飲み込み、「つ、つまり、牛乳を飲むということは、子牛たちの飲むべき母乳を人が横取りしているということです。だから、牛乳は感謝して飲まないと、ばちが当たりますよ」なんて説明したことを覚えています。
 同じ動物でも、ペットと家畜では違います。家畜は「経済動物」ですから、酪農家なら綿密な計画の下にメス牛を妊娠させて子牛を産ませ、一定した牛乳生産を行います。
 そこで必要になるのが人工授精という技術。乳牛の場合、牛乳生産だけを考えれば、メス牛しかいりません。一方、肉用牛は肉付きのよいオス牛がよいので、こちらもほぼ100%人工授精で、近年ではオスとメスを産み分ける技術も確立されました。
 人工授精ではまず、メス牛の子宮の状態(発情)を確認。それから、ストローに冷凍保存された優秀なオス牛の精子を注入器でチュッとメス牛の子宮に入れるのですが、これを担当するのが家畜人工授精師なのです。
 さて、2年生の女子学生Hさんは農家出身ではないのですが、人工授精師になるという目標を持ち、その資格がとれる農大にやってきました。

  でも、初めて試験場の牛舎で体験した実習は、衝撃のデビューになりました。そのヒントは写真の長い手袋。さて、何に使うのでしょうか。

(福岡県農業大学校校長)

 

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 3. 人工授精師(中) -優しく入れてやらにゃ-

  福岡県農業大学校畜産コースの一日は、畜舎の掃除で始まります。肉用牛の畜舎で実習する2年のHさんは、一足早く来ている県の技術者の下、ふんの処理や水飲み場の掃除、餌やりをします。
 それが終わると、牛の大きな体を上から下に丁寧にブラッシング。そうすると「えー気持ちや~」と言ってるかのように、牛たちは恍惚(こうこつ)の表情を浮かべるそうです。
 一般的に肉用牛の肥育農家は、市場で生後約10カ月の子牛を購入。約2年間育ててから食肉加工センターに出荷し、その肉代を受け取って生計を立てます。こう書くと、命の温かみも何もないですが、実は畜産農家ほど命の大切さを感じている方たちはいないと思っています。
 飼うのは約2年と短いですが、牧場主はそれはそれは大切に愛情込めて子牛を育てます。それは、牛たちの限られた命の時間を知っているからです。「せめて生きている間は、幸せな時間にしてあげたい」。そんな切なる願いが彼らを動かしているのでしょう。
 前置きが長くなりました。いよいよHさんにも実習デビュー戦の日がやってきました。前回の写真で見てもらった長い手袋はこう使います。

 

先生 君、将来、家畜人工授精師になりたいんだって? じゃあ、まず牛の卵巣を触ってみなくちゃね。そこにある、腕まで入る手袋をしてごらん。
H わー、長い手袋! こんな感じでいいですか?
先生 じゃあ、こっちに来て、牛の肛門に手を突っ込んでみようか。
H え、えー! 肛門?
先生 牛は直腸の真下に子宮があるので、直腸から間接的に卵巣に触ることができるんだ。慣れると、卵のでき方や発情期だって分かるようになるんだぞ。
H どこまで突っ込むんですかー。
先生 そうだな、君の腕なら、肩くらいまで突っ込んでみろ。
H (あーあ、あたし何やってんだろ? でも、やらなきゃ。えい)先生、手が締め付けられて動きません。
先生 そりゃ、牛が嫌がっとると。肛門に手を入れるとやけん、あんたも、もうちょっと優しく入れてやらにゃ。

 さてさて実習初日から大変な目に遭ったHさん。その後、どう育ったのでしょうか。
(福岡県農業大学校校長)

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 4. 人工授精師(下) -限られた命と向き合う-

 農家の数が年々減っているのは皆さんもよく聞くでしょう。福岡県の総農家数を見ると1995年、9万戸だったのが、2015年には5万3千戸に減少し、この20年で約6割に。畜産農家の減少はさらに激しく、同時期で比較すると肉用牛で半減、乳用牛は4割まで減りました。
 「スーパーで売っている牛乳の価格を見てごらんよ。水より安いこともあるんだから。やってられないよ」。そんな声を現場でどれだけ聞いたことか…。
とはいえ、私たちの暮らしにとって畜産が必要な産業であることは変わりません。デビュー戦で牛の肛門に手を入れさせられて四苦八苦した2年生のHさんも、畜産部の先生方の温かい指導の下、毎朝、牛の世話をしながらたくましく育ちました。

 

私 最初から鍛えられたねえ。
H あの時は無我夢中でした。時々、ふんが顔や作業着に飛んできて、臭いが取れなくて大変でした。
私 もうだいぶん慣れた?
H はい。今では直腸から卵巣を触りながら子宮の状態もスケッチできますし、牛の発情期がいつ来るかも分かってきて、人工授精の適期も判断できるようになりました。
私 ところで農家でもないのになぜ本校に?
H 実は、おじいちゃんが子牛を育てて売る繁殖農家で、毎年夏休みになると2週間くらい泊まりがけで行ってたんです。とてもかわいくて牛の世話をするのを楽しみにしてました。小6のとき、たまたま牛の出産に立ち会う機会があり、命の誕生に感動しちゃって。
私 でも普通高校に進学したんだよね。
H 本当は農業高校に行きたかったんだけど、親に反対されて。でも高2で進路を決める際、「やっぱり牛の繁殖を助ける家畜人工授精師になろう」と決心して、その資格が取れる学校を探して、ここに来たんです。
私 で、どうだった?
H 毎日、世話をしていると、牛たちの親になった気がするんです。死産に立ち会ったこともあって、牛たちの心のケアも学びました。
私 将来は?
H 牛たちは限られた命だけど、「私に会えてよかった」って牛に感謝されるよう頑張ります。

 こんなふうに動物の命と向き合いながら、技術と心を磨く。それが畜産コースの醍醐味(だいごみ)なのです。
(福岡県農業大学校校長)

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 5. 養鶏(上) -じいちゃん「命」の教え-

 「水炊き」のおいしい季節になりましたね。総務省の家計調査によると、福岡県民の鶏肉の年間消費量は1人当たり19㌔で、全国第2位。福岡県農業大学校に隣接する県農林業総合試験場の畜産部では、「はかた地どり」「はかた一番どり」などのブランド鶏を世に出し、鶏肉大好きの食文化に応えています。
 さて畜産コース鶏専攻の2年生M君。四年制大学をやめて入学した変わりダネです。

 

私 M君の実家は農家じゃないよね。
M 隣町に母の実家があり、じいちゃんが米を作っていました。だからお米をもらったり、田植えや稲刈りの手伝いに行ったりしていて、田んぼは僕の遊び場のようなもんだったんです。
私 じゃあ、幼い頃から農業に触れているんだ。
M じいちゃんはアイガモを田んぼに入れて無農薬で米を作っていました。今でも、田んぼに行くと「来ーい、来い来い来い!」とアイガモを呼び寄せていたじいちゃんの声が聞こえてくるようです。アイガモってかわいいんですよ。
私 でも、田んぼから引き上げたアイガモは後で食べるよね。大丈夫だった?。
M はい。じいちゃんが首を落としたのをお湯につけ、一緒に羽根をむしりました。そのときのじいちゃんは一言もしゃべらなくて、なんか厳粛な感じだったです。
私 食べることは命をいただくこと。そう無言で教えていたんだね。
M だから動物たちの命に対し、僕は他の人より敏感と言えるかもしれません。
田んぼにアイガモを放ち、無農薬米とカモ肉を生産するアイガモ水稲同時作は、福岡県桂川(けいせん)町の農家、古野隆雄さん(67)が、苦心の末に確立しました。害虫がアイガモの餌になり、ふんは稲の栄養になるこの農法は、技術としても優れていますが、何より「命が見える」ところが素晴らしい。M君の心にも、そうした命の記憶がしっかりと刻まれているようです。
私 で、なぜ農大に?
M 大学は教育学部だったのですが、小さい頃からの「農業をやりたい」という気持ちが大きくなって、3年のとき1年休学して牧場で働きました。間近で感じる牛の息遣いなど、想像を超える感動の日々に、農業で身を立てようと決心がつきました。
というわけで、畜産の基礎を勉強しに来たM君でしたが…。続きは次回。
(福岡県農業大学校校長)

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 6. 養鶏(中) -動物の世話「一番の幸せ」-

 「あったけえー」。畜産コース鶏専攻の2年生のM君は入学早々、ケージ(かご)の鶏舎で卵を集めて回る初めての実習で、感激して思わず声を上げたそうです。「これが、生まれたての命かあ」。感動したM君でしたが…。
 養鶏は大きく採卵用(レイヤー)と肉用(ブロイラー)に分かれます。牛と同様「経済動物」なので、限られた面積で、いかに効率よく卵を産ませるか、肉量を増やすかが経営の骨子になります。
 採卵養鶏の場合、鶏のためには、より自然に近い形で土の上でゆったりと飼う「平飼い」が望ましい。でもその分のコストは卵代にはね返るため、金網で囲まれたケージに2~3羽ずつ入れ、それを数段重ねる「ケージ飼い」が主流になります。
 こだわりの平飼い農家の中には、雌十数羽に対し、雄1羽を入れている場合があります。なぜ、卵を産まない雄を入れるのかはお分かりですね。それは産み落とされるのが有精卵になるから。でもケージ飼いで飼うのは雌だけですから、冒頭でM君が手に取ったのは、温めてもひなは生まれない無精卵です。命の温かさと思ったのは、単なる母鶏の体温だったわけです。

 

私 今では笑い話だけど、その時はほんとに感動したんだねえ。
M 驚かれるかもしれませんが、農大に入るまで、鶏がどうやって卵を産むかも知らなかったんです。だから鶏のお尻からプリンって卵が出てきて、それがコロコロと目の前に転がってきたときには、ほんと感激しました。最初のうちは、農大での毎日が驚きの連続でしたよ。
私 その中でも一番印象に残ったのは?
M 1年の夏休みに体験した1カ月間の農家留学研修です。いきなり1万羽の鶏舎を任されて。死んだ鶏を取り出す仕事も、卵を集める仕事も、数が数だけに見回るだけでも大変です。ケージの中で飼う鶏の数も、鶏の成長に合わせて変える必要があるので、毎日が戦争のようでした。
私 でも、それで自信がついたんだ。
M 卒業後は鶏を飼う農業法人に就職が決まりました。僕は動物の世話をしているときが一番幸せなんです。

 連載の初めに登場した人工授精師を目指すHさんも含めて、総じて畜産コースの学生たちは皆、優しい目をしているように思います。命に関わる仕事をすると、自然とそうなるのでしょうかね。
(福岡県農業大学校校長)

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 7. イチゴ(上) -忙しさ 半端じゃない-

 福岡県農業大学校の野菜コースは、1学年の定員が20人の大所帯。というのも県が園芸、特にイチゴの「あまおう」を代表とする野菜の生産、販売に力を入れており、野菜作りを学びたいという学生が多いためです。
 学生は、比較的価格が安定し、きちんと作ることができれば安定経営をやりやすいイチゴ、ナス、トマト、キュウリ、アスパラガス、さらに小松菜や春菊といった軟弱野菜などの分野別に4~5班に分かれて学習します。このほか露地野菜のレタス、ブロッコリーなども作付けしており、計約30品目を作ります。
 今回の主役はイチゴ班のF君。広川町(八女郡)の実家は、あまおうを作る専業農家。3人兄弟の末っ子です。

 

私 後継ぎはお兄さんじゃないんだ。
F 小さい頃から父が大好きで、いつも後をついて回ってイチゴ作りの手伝いをしていたので、後継ぎはオレだって思っていました。
私 八女はイチゴの産地だけど、イチゴを作る若者は少なくなっているよね。
F そうなんです。イチゴ部会でも父の同級生は十数人いるのに、僕は三つ上の先輩が1人だけなんですよ。

 

 イチゴは、きちんと作れば最も経営が安定する農産物の一つです。特にあまおうは日本一のブランドですから。でも、そんな好条件にかかわらず、毎年、生産者と作付面積は減る一方です。
 なぜか。それはイチゴ作りが一年中忙しいから。
 イチゴといえばクリスマス。そんな光景が定着して久しいですが、本来の旬は5月です。それをクリスマスに出荷するために、農家は匠(たくみ)の技を駆使します。
 クリスマスに照準を合わせた作業は真夏の8月にスタート。苗を冷蔵庫に入れ、10~15度の低温に20日ほどさらします。するとイチゴは「う、さむ。冬が近い。じゃあ、そろそろ花芽を作って、春に花を咲かせる準備をしなきゃ!」と思い込みます。
 花芽さえできればこっちのもの。あとはビニールハウスで保温すれば、イチゴは春が来たと思い、早ければ11月には収穫期を迎えるのです。
こう言葉で書くと簡単なようですが、10㌃(千平方㍍)のハウスにある苗は7千~8千本。それらを冷蔵庫に入れ、ハウスに定植して、収穫、選別、出荷…。とにかく仕事の量が半端ではないのです。

 そんな中、イチゴ作りに挑むF君の思いはどこから来るのでしょうか。
(福岡県農業大学校校長)

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 8. イチゴ(下) -最高品めざして腕磨く-

 イチゴの場合、広さ10㌃のハウスから約3~4㌧のイチゴを収穫します。通常売られているイチゴは1パック270㌘。農家では冬から春にかけ、イチゴの大きさや色を選別しながら、計1万パック以上に詰め、出荷する作業が連日続きます。
 5月になると収穫は終わりますが、次の冬の出荷へ向けた準備をスタートしなければなりません。9月に定植する苗を作るための「親株」は前年秋のうちに定植済み。その親株からはランナーという長い茎が伸び、その先端に新しい苗ができます。親株1株から取れるのは15本程度。それらを1本ずつ育苗用のポット(鉢)に移植します。10㌃作るのに必要なポット数は7千~8千にもなります。
 暑い7~8月は、病気や害虫予防のため定期的な農薬散布も必要です。同じハウスに何年も作るので、連作障害を避けるよう太陽熱などを利用した土壌消毒や、土作りのための堆肥の投入も必須です。
 このように農閑期がある米作りなどとは違うイチゴ作りに、本校野菜コース2年のF君は挑んでいます。

 

私 イチゴは面白い?
F 大変だけど、すっごく面白いです。だって作り方次第で、10㌃当たり5㌧も6㌧も採る人がいるんですよ。同じあまおうでも作り方一つで味が違う。腕次第で最高のイチゴを作る可能性があるなんて、ワクワクします。
私 それにしても作業量が多いよね。
F 今は、一番大変なパック詰めを引き受けるJAの選果・包装センターがあり、かなり楽にはなっています。委託費がかかるので、その分稼がんといかんけど…。
私 来春、卒業したら、いよいよお父さんと一緒にイチゴ経営が始まるね。
F 最初の3年間は修業だと思い、父の技を学んで、その後、自分の新しいハウスを建てて、などと考えていたのですが、父は「来年ハウスを建ててやるから、自分でやってみろ!」と。
私 1年目から任せるという姿勢は、さすがやね。将来はどんな経営を?
F 祖父は「作れば売れる」、父は「品質を上げれば売れる」時代でした。今後は「消費者を味方につけて売る」時代やと思ってます。そのためにも、まずはイチゴづくりの腕を磨かんとですね。
私 地元のこともある。
F 農家はどんどん減っていってるけど、年を取っても生涯現役で、みんなで楽しく農業を続けられる仕組みを地元につくりたいです。僕、広川町が大好きだから。

(福岡県農業大学校校長)

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 9. ディーラー(上) -やりがいあったけど…-

 農業の基礎から学ぶ本校の養成科(二年制・1学年50人)は、高校を卒業してすぐに入学した人が9割を占めます。残りは四年制大学を卒業・中退したり、会社を辞めたりしてきた人です。40歳で入学してきたMさん(野菜コース)もその一人です。

 

私 入学する前、最初はどこにいたのかな。
M 東京の大学を中退し、そのまま東京の金融機関に就職、外国為替市場を担当する為替ディーラーをやっていました。
私 どんな仕事なの。
M 例えば1㌦100円で買ったドルが、110円に上がったときに売れば、1㌦当たり?円のもうけが出ますよね。私は顧客からお金を預かり、時々刻々変動する為替レートをにらみながら、そんな売り買いの判断をアドバイスしていました。人のお金を右から左に動かして、もうけを出す仕事でした。
私 なんか大変そうやね。
M 外国為替市場はシドニーやニューヨーク、ロンドンにもあり、?時間休みなく動いているから、こちらもそれに対応しなくちゃなりません。基本の勤務は午前8時~午後6時と、正午~午後8時で、午後?時~翌朝8時の夜勤も月2回ありました。
私 面白かった?
M リスクはあるけどたった1秒で莫大な利益を出すこともあったし、ゲーム感覚でとても楽しく、それなりにやりがいはありました。でも、相場がいつ動くか分かりませんから、一日中モニターの前にくぎ付け。ほとんど動くこともないから、体にはよくないですね。
私 なぜ、やめたの。
M 7年間、それなりに成果は出していたのですが、結局は実体のない仕事。だんだん社会に貢献しているという気がしなくなって…。そんな気持ちになったとき、ストレスで帯状疱疹(ほうしん)が出て辞めざるを得なくなったんです。体は正直ですね。
私 それで福岡に戻ってきたんだ。
M ゆくゆくは福岡に戻ってきたいとは思っていました。でも家の農業を継ぐ気は、小さいころからなかったので、戻ってきても会社員を?年ほどやっていました。
私 それが何で本校に。
M 父は公務員で、家の田んぼは全部、人に貸していましたが、私が福岡に戻ってきたら「家で食べる分くらいは作ろうかな」と言って、?年ぶりに米作りを再開。「少し手伝わんか」と誘ってきたんです。

Mさんはなぜ、本校入学を決断することになったのか、続きは次回。
(福岡県農業大学校校長)

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10. 元ディーラー(下) -やること見つかった!-

 機械代や労賃を考えれば、今は自分で米を作るより、買った方が安い時代です。高齢化した農家の多くは、そこまでして田んぼを守る理由が見つけられない苦悩を抱えています。農業改良普及員をしていたころも、兼業農家の皆さんから「農業なんてもうからんから、俺の代でやめる。子どもは子どもの人生を歩めばいい」なんて言葉をよく聞かされました。
 「仕方がないのかな」と思う一方で、それが本意ではないことも分かっていました。都会の人には理解できないかもしれませんが、農家にとって田んぼは、先祖からの預かり物であって、単なる「不動産」ではない。それを自分の代で手放すことは、とても心が痛むことなのです。
 本校養成科のMさんのお父さんも、先祖代々受け継いだ田んぼの行く末が気になっていたのだと思います。東京からMさんが戻ってきたのを機に、10年間、人に作ってもらっていた田んぼで一緒に米を作ろうと誘ってきたのも、そのためだったのでしょう。


M いざしてみると小さいころ、田植えや稲刈りを手伝っていたので、久しぶりに父とやる米作りはとても懐かしい気持ちでした。それでも、赤字になる農業をする気にはなりませんでした。
私 それがなぜ本校で学ぶことになったのかな。
M 2年前、「おまえがやらんのなら、田んぼを売ろうと思うが、いいか?」と言われたとき、何か身を切られるような気持ちになり、「継ごう!」と決心しました。不安はありましたが、やっぱりご先祖さまから受け継いだ血がそうさせたんですかね。
私 入学してみてどう?
M 自信はないし、周囲は若者ばかり。でも飛び込んでよかった。みんな目標を持ってやっているので、自分もうかうかしていられません。
私 卒業したらアスパラ栽培を始めるんだね。
M 農家留学研修で地元のアスパラ部会長のところに行きました。人脈もできて、感謝しています。身の丈に合った経営ができれば、農業で道は開けると思います。
私 農業を目指している人たちにメッセージを!
M 生きることは、食べること。その食べ物を土から生み出す農業は、世のため人のためになる、なくてはならない偉大な仕事。私は今、やることが見つかった、という意味でとても幸せです。こんなチャレンジができるのも、職を持つ妻がいるからこそ。妻子のためにも一日も早く自立できるように頑張ります。

(福岡県農業大学校校長)

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11. モモ -経営者の目線で学ぶ-

 福岡県農業大学校には、家業をどう発展させるかという高い意識をもって入学してくる学生も多くいます。果樹コースのT君もその一人。実家は米麦20㌶と、キウイ、ミカンを1㌶ずつ作る農業法人です。だからなのか彼と話していると、どうやれば消費者に喜んでもらえるか、従業員に気持ちよく働いてもらえるかなど、経営者の目で農大での出会いや出来事を観察していることに感心します。

 

私 なぜ農大に。
T うちの経営に桃を取り入れたいと思ったんです。
私 それはなぜ。
T (脱穀や調理が必要な)米麦と違い、果実はすぐ食べられるから消費者に説明しやすいとです。中でも桃は高級感もあり、贈られるととても喜ばれますからね。
私 でも贈答品は難しいよね。絶対おいしくないといけないし…。
T そこなんです。贈られた人の期待に応えられる桃でないと。僕が取り組んでいる卒論のテーマでもあります。
私 なんか秘策があるの。
T 超絶品の桃を食べたことがあります。農業高校時代、樹になっている桃を食べると校則に触れるので、仕方なく熟して地面に落ちた桃を食べたら「!」。こっちの方がうまいのなんのって。
私 完熟していたんだね。
T 桃は触っただけでも傷むくらいデリケートなので、普通の流通では完熟桃の出荷はまず無理。しかし一度完熟桃を食べたら、普通に売っている桃は食べられないくらい味が違うとですよ。
私 でも、それを消費者に届けるのは難しそうやね。
T その課題をどう解決するか、考えるだけでもワクワクしませんか? そのヒントを農大のプロジェクト研究でつかむことができました。
私 果樹コースの実習はどう?
T 品目ごとに学生間で農場長を決めて運営しています。農場長は農作業の段取りを決めるので、果樹の様子をいつも観察していないと的確な指示が出せません。収穫量や品質に大きく影響するから責任重大ですよ。
私 そうした経験を積むことで、農場を経営する力が養われるんだ。
T 実家の法人は、雇用を増やして大きくしていきたいので、農場長の制度は、ぜひ取り入れたいです。

こうした生きのいい若者が地域に戻り、大きな志を持って農村を盛り上げていってほしいものです。
(福岡県農業大学校校長)

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12. 農福連携(上) -農家の魂に触れて-

 「農福連携」という言葉を聞いたことがありますか? 現場の労働力が不足している農業側と、障害のある人の就労先を拡大したい福祉側とで手をつなぎ、お互いの利益を図る取り組みです。
 福岡県の調査では、障害者福祉施設は県内に約900あります。でも「農業への興味はあるが、実際にどうすればよいか分からない」施設がほとんど。そこで本年度から、福祉労働部と農林水産部が協力し合って農福連携を進めていこうと動き始めました。
 幸い県農業大学校には、野菜や果樹などほとんどの農業体験ができる施設があります。希望する障害者施設の指導者や障害のある人が農作業体験できるよう、試行的な研修をすることになりました。
 本校にも農福連携を夢見て入学した学生がいます。

 

私 F君は高校で福祉コースだったんだね。
F 小中学校のとき障害のある同級生がいて、そのお父さんが授業をしてくれたんです。そのとき「障害は個性として見てほしい」と言ったのが心に残り、介護職を目指しました。高校時代には、障害者施設などでボランティアもしました。
私 それがなぜ、本校に?
F 高齢者支援施設に実習に行ったときのこと。おばあちゃんのお昼ごはんを介助していたのですが、好き嫌いがあったので「じゃあ、苦手なものは残しましょうね」と食べさせるのをやめました。すると「それは、いかん!」。隣にいたおじいちゃんが大きな声を上げ、すごいけんまくで怒りだしたんです。
私 それはびっくりしたね。
F おじいちゃんは根っからのお百姓さんだったようで「その野菜ができるまで、どれだけ苦労があったと思ってんだ。オレはずーっと作ってきたからその苦労がよーく分かる。野菜だって命があるんだぞ。残して捨てるなんて、このバチ当たりが」。とても急なことで、周囲はみな目を丸くしたんですが、僕はその瞬間、「じいちゃん、かっこいい」って思いました。農業に対してこんなに誇りを持ってるなんて。そのとき農業を勉強してみたいなって。
私 将来は?
F 障害があっても工夫すれば、できることはたくさんあります。僕は障害のある人たちと協働し、楽しく農業する仕事に就きたいです。

 というわけで私自身の勉強も兼ね、農業をうまく取り入れて経営をしている福岡県豊前市の社会福祉法人をF君と訪問しました。続きは次回。
(福岡県農業大学校校長)

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13. 農福連携(下) -人生の1ページつくる仕事-

 「ずいぶん山の中ですね」「でも、ここから見る周防灘はきれいだよ」
福岡県豊前市にある社会福祉法人周防学園。ここには福岡県農業大学校から4人の卒業生が就職しています。そのご縁で今回、農福連携を夢見るF君を連れて勉強させてもらいました。
 副施設長によると、学園は45年前、知的障害者の授産施設として設立。当時は社会的偏見もあり、このように人目に付かない山の中に建てられました。当初から観光農場を併設して農業を主体に運営し、約150人の知的障害のある人たち(以下利用者)が在籍。今はミカン、ブドウ、イチゴ、サツマイモなどの果樹、野菜のほか、水稲13㌶も受託して、地域の担い手としても期待されているそうです。
 利用者も高齢化が進んでおり、彼らの老後を考えて介護老人保健施設もつくったとのこと。職員の若返りを図るため新規採用を増やしていることなどを聞かせてもらった上で現場を見学、本校卒業生の皆さんと話しました。

 

私 なぜ、福祉法人に就職したの?
卒 農業は所得を上げることばかりに目が向いてる気がしますが、人の心を安らかにするとか、農には食料生産だけではない力がある。福祉と組み合わせ、今まで注目されていなかった農の力を生み出すことが新しいと感じたからです。
私 入ってみてどうだった?
卒 利用者がやれることを見つけたときが、とてもうれしいですね。例えば、収穫したミカンを選別機に入れます。ある程度、大きさ別に集まったら、そのコーナーの出口を開けて段ボールに入れるのですが、その出口の開け閉めを専門にやってる利用者がいます。単純な作業だけど、その人にとっては「できることを見つけた!」という喜びがあるはずで、そんなときに私もやりがいを感じます。
私 農業にはいろんな仕事がある。そういう意味で農業と福祉は相性がいいね。
卒 ただ、ある程度利益を出していかないと施設が運営できないので、効率との兼ね合いが難しいところです。でも農業は無限の作業パーツの組み合わせだから、その中でできる仕事を見つけてあげられれば、利用者はとても生き生きしてくるんです。

 私は思いました。卒業生たちの仕事は、障害のある人の人生の一ページを一緒につくることだ、と。F君もキラキラしている先輩たちを見て、これからの人生の方向に自信を持ってくれたようでした。
(福岡県農業大学校校長)

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14. 農業女子(上) -頭を使えば負けない-

 本校の水田コースは稲、麦、大豆など田んぼを使う基幹作物の経営を学びます。露地野菜と組み合わせて経営することも多いためブロッコリーやスイートコーン、イモ類なども作ります。そのため広い面積を耕す作業も多く、トラクターの操作が上手になる学生が多いです。水田コース唯一の女性Sさんに聞きました。

 

私 女性だと大変では?
S ある程度の体力は必要だけど、農業で大事なのは段取り。頭を使えば男の人には負けませんよ。それに毎日実習があるので、私も随分と体力がつきました。
私 本校に来てよかったことは?
S 農家留学研修を体験できたことです。ちょうど稲刈りシーズンで、コンバインに乗ってる人が次に何をするかを予測して動けるようになるまで、たびたび怒られました。大規模になればなるほど機械が無駄なく動けるよう、あうんの呼吸で段取りすることが大切なんだぞって。
私 かなり大きな農家?
S 会社組織で、社員には毎月給料を支払うようなところです。責任と役割がはっきりして、本校では味わえない現場の緊張感が経験できました。捕まえたイノシシのさばき方を教えてもらえたのにはびっくりでした。
私 えっ、イノシシ?
S ニワトリをさばくのは得意なので抵抗はなかったのですが、独特のにおいがちょっと…。
私 アイガモ農法が卒論の研究テーマだね。
S 無農薬米の栽培と同時に、虫や草を食べてアイガモが育つのが驚きでした。稲穂が出る頃、田んぼから引き揚げるのですが、アイガモが必死で逃げ回るので大変でした。この手首のひっかき傷はアイガモの爪痕なんです。
私 アイガモは食べた?
S はい。畜産コースの人たちと合同で、アイガモの首を切って放血させるところから、毛抜き、解体までやりました。肉は冷凍したので卒論が一段落したら、みんなで鍋にします。
私 食べることに抵抗は?
S 農業高校で初めてニワトリをしめたときは、ショックで言葉が出なかったです。でも今は命と向き合う心構えができているので、大切な命だからこそ、礼を尽くしておいしくいただいています。

 本校の学生の2割が「農業女子」ですが、彼女たちはみんな生き生きしています。その理由は、次回に。
(福岡県農業大学校校長)

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15. 農業女子(下) -生きている実感が違う-

 4年前、全国で「農業女子プロジェクト」が始まったことを契機に、女性の発想と生活観を生かした企業などとの連携が増えてきました。福岡県のプロジェクトには、以前紹介した畜産コースで人工授精師を目指すHさんも参加。女性に向くオシャレで機能的な農作業着や、足の疲れを軽くする靴下などの商品開発をメーカーと一緒に取り組み、農業女子の存在をPRしています。徐々にですが、県でも農業経営者を目指す女性が増えており、水田コースのSさんもその一人です。

 

私 なんか農業大好きって感じやね。
S 気が付いたら、ここにいたっていう感じです。だって、農業って生きることでしょ。他の職業に比べたら生きている実感が違います。
私 どういうこと?
S まず一日中農作業だった日は「わあ、今日は働いたな」という充実感。そして、学食で晩ご飯を食べてお風呂に入って、ベッドに横になった瞬間、寝ちゃうんです。もう、いつの間に寝たんだろって。気付いた翌朝の爽快感は、ほんと、生きているって感じますよ。こんなことは今までになかった感覚です。
私 トラクターも上手だね。
S 私、トラクターの作業が大好きなんです。草がいっぱい生えた田んぼや畑をトラクターで耕運して、後ろを見ると全部すき込まれて、きれいに整地されている。しかもそれが真っすぐにピシャーとできたときの爽快感は、実際にやってみないと分からないでしょうねえ。
私 そうだよね。大型特殊免許も一発合格だったとか。
S はい、農業大学校の広い練習場で、トラクターをバンバン飛ばして練習しましたからね。練習も授業の中でやれたのでありがたかったです。これで公道もトラクターで走れるようになりました。
私 将来の夢は?
S 農業法人に内定をもらったので、そこでしっかりと働きます。そして、もしチャンスがあれば、祖母の田んぼを受け継ぎ、自分で農業をやっていくことが夢です。
私 では、最後に女子高生の皆さんへメッセージを。
S 将来の職業に悩むなら農大へ来てみらんね。とりあえず四年制大学に行くくらいなら、二年制だし、違う世界を見ることも大事だぞ!

 職業として農業を選んだ女性が現場で活躍してくれると、農業にも農村にもいい風が吹く気がします。女性の皆さん。本校で一緒に目指しませんか、農業女子を!
(福岡県農業大学校校長)

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16. 花きコース(上) -父親の姿に魅力感じ-

 花に関する基礎的な栽培技術から流通までを学ぶ花コース。切り花ではキク、鉢物ではシクラメンを主体に、トルコギキョウやガーベラ、テッポウユリ、ホオズキなど約?品目の花を栽培しています。また、外部講師によるフラワーアレンジメントの実習もあり、その日は玄関やロビー、寮にたくさんの花があふれます。今回紹介する花コース1年のT君は福岡県添田町出身で、専業農家の後継者です。

 

私 お父さんの経営は?
T 添田町のある田川地区はトルコギキョウの栽培が盛んです。父もその花から始めたそうで、今ではいろんな花を栽培しています。
私 仕事は手伝っていた?
T 小学2年の頃から手伝わされていましたが、きつかった思い出しかありません。しかも花の仕事が忙しくて、父に遊びに連れて行ってもらったこともないので「農業とかおもしろない。絶対継がん!」と思っていました。
私 子ども時代に鍛えられて農業が嫌になるのは、農家の子弟に結構あるパターンかも。
T でも高校生になり、父の花の経営戦略を知るようになったら農業も面白いかもと思い始めました。
私 どんな戦略?
T ダリアの周年出荷です。ダリアは今、ブライダルでは大人気で、単価も高く、条件さえ良ければ何年でも咲き続ける多年生の花。県内にも産地はあるのですが、暑さに弱い花なので、夏場の結婚式などでは東北や北海道から送られたダリアが使われていました。でも標高が高い添田町なら、夏も涼しく出荷できるかもとチャレンジを重ねた結果、周年出荷が可能な産地になったんです。
私 福岡の花市場からも喜ばれたんじゃない?
T そう聞いています。例えば結婚式場に花を飾る段階で、花に少し傷があることに気づいても、産地が遠方だとすぐには補充できません。でも県内なら、電話1本ですぐ代わりのダリアを式場へ持っていけますからね。
私 産地が近くにある強みだ。
T 父はよく「仕事を趣味にせないかん」と言ってました。確かに、父は働いているところしか見たことがないんです。それだけ努力しているということです。

 自分次第で道を切り開ける農業に魅力を感じたT君は尊敬のまなざしで父親を見るようになり、後を継ごうと決めたのですが…。続きは次回。
(福岡県農業大学校校長)

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17. 花きコース(下) -地域をつくる一人に-

 新たな道を切り開く父親の姿に、農業の魅力を感じ始めていた花コース1年のT君でしたが…。

 

私 じゃあ、高校の時から農業の勉強を始めたの?
T いえ。普通高校に進み、レスリングに没頭。先生からも「このまま大学に行き、東京五輪を目指してみらんか」と誘われていました。
私 それを振り切って、何でまた農業大学校に?
T 姉も兄もそれぞれ目的を持って大学に行っていたので、父の後を継ぐのは自分しかないと感じていました。それに父の母校でもある農大は入学金や授業料がいらないと聞いていたこともあって。
私 入学してどう?
T 切り花だけでなく、鉢物や多肉植物まで幅広く作っているので、すべての体験が新鮮です。今、父が作っているダリアの品種をいくつか栽培試験していますが、プロジェクト研究の材料にしようと思っています。
私 1カ月の農家留学研修で人生観が変わったとか。
T お世話になった糸島市のAさんに最初に教えられたのは、花づくりではなく①大きな声で相手を見てあいさつする②連絡はしっかり③うそはつかない―の三つ。技術の前に、まず人として信頼されることの重要さをたたき込まれました。
私 それでAさんのことを師匠と呼んでいるんだね。
T 今でも週末には師匠に教えを請うています。「何でもいいから一番になれ!」という言葉には感銘しました。Aさんもそうですが、農業で成功している人は品種の数とか出荷本数とか、何らかの部門で一番になっていると実感させてもらったからです。
私 おお、やる気スイッチが入ったようだね。
T 同じ花コースのN君のお父さんは、カーネーションでは東京の大田市場で一目置かれる優秀な農家です。それでもN君は新しい花にチャレンジしようと農大に入って頑張っているライバル。農大は学ぼうと思えば、いろんなことが学べるけど、目的がなければ在学する意味がない。僕も、父から引き継いだらどんな経営をするか、農大にいる間に考えていきます。
私 将来は?
T 出身地である添田町の産業の中心は農林業なので、やる気のある新しい農家が増えないと活気が出んです。僕も頑張って、地域をつくる一人になりたいです。

 農業経営はやり方次第。農大で知恵と技術、そして人とのつながりの大事さを学んでほしいものです。
(福岡県農業大学校校長)

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18. ブドウ(上) -シェフから転身 なぜ-

 ブドウやナシ狩りなどで観光農園に行かれたことがありますか。実は福岡県は果樹王国です。栽培面積では、新品種「秋王」がデビューした甘柿は日本一。「とよみつひめ」という人気のオリジナル品種もあるイチジクと、大きくて果肉が黄色の「甘うぃ」という新品種を開発したキウイはいずれも全国2位です。
 他にも「巨峰」を代表とするブドウ、「幸水」「豊水」と多彩な品種のあるナシ、高糖度の「北原早生(わせ)」などの温州ミカンもあります。そんな果樹栽培を勉強しようという異色の学生がT君(29)です。

 

私 レストランのシェフをやっていたんだって?
T 高校のとき調理師の免許を取り、福岡市のホテルのレストランに就職しました。割とこぢんまりとしたお店で、すぐにいろんな料理を任されるようになりました。
私 地元の野菜を使うことはあった?
T 県内の農業法人から直接仕入れることもありました。調理すると、産地直送の野菜の新鮮さが格段に違うことがすぐに分かるんです。ありがたいことに、提携している農場に先輩が毎月1回連れて行ってくれて、農作業を手伝う機会もあったんです。
私 それで農業に興味が出てきたんだね。
T 実家は巨峰を作るブドウ農家ですが、そこまでブドウは好きじゃなくて…。でもシェフ仲間が実家から送ってきたのを食べて「福岡の巨峰はうまいなあ!」ってほめてくれたときは、自分のことのようにうれしかったです。
私 なぜシェフを辞めたの。
T ホテルのレストランだったので、ルームサービスなどにも対応していて、早朝から深夜までかなりの重労働でした。仕事が終わるのは毎日夜中の1時を回っていました。朝は、5時には調理場に入らないといけないのに。
私 それはきつかったねえ。
T 最初は修業だと思って頑張っていましたが、先輩たちが次々に辞めていくし、自分の将来も見えなくなって。8年勤めた後、取りあえず辞めました。
私 それからどうしたの?
T 2年くらい、いろんな仕事をしながら、これからどう生きようかと、人生の進路を考えていました。ちょうどその頃です。久留米市の広報で、農業大学校への推薦入学枠についてのお知らせが目に留まったんです。

 

続きは次回。
(福岡県農業大学校校長)

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19. ブドウ(下) -食、観光も取り入れて-

 福岡県内で人気の果樹園に共通しているのは、果物を直売するだけでなく、食とつながっていることです。例えば、みやこ町の松木果樹園は、6月=ブルーベリー▽7月=桃やナシ▽8月=ブドウやイチジク▽9月=リンゴ▽10~11月=ナシの晩生(ばんせい)品種▽12月=ミカン―などが味わえる、まさに果樹の楽園。フルーツ狩りもできるし、園内レストランでは完熟果物をふんだんに使ったスイーツが味わえるほか、地元のおいしいお米や野菜を使ったランチメニューもあり、年中楽しめるよう工夫されています。
 さてレストランの元シェフT君は、どんな夢を持って本校に入学したのでしょうか。


私 元々、家業のブドウ農家を継ぐつもりだった?
T おまえは長男だからと、小さい頃からよく言われていました。でも、それが嫌だったのか、農業には全然興味が湧かず、家業を継ぐ気はありませんでした。
私 それがまた何で農業大学校(農大)に?
T 久留米市の広報で「農大への推薦」という文字を見た途端、ビビッときたのには自分もびっくりでした。シェフ時代の先輩や仲間たちとの関わりの中で、知らないうちに「農業をやりたい!」という気持ちがこんなに大きくなっていたなんて。
私 農大生活はどう?
T 専門の果樹コース以外にも野菜の栽培や農機具の扱い方など、いろんなことが学べて助かっています。農家の息子なのに草刈り機さえ使ったことがなかったので。栽培技術の奥深さも感じます。やはり経験がものをいう世界ですね。「やり方さえ学べばすぐ作れる!」なんて考えていましたが、甘かったです。
私 研修はどこへ。
T うきは市の先進的なブドウ農家で1カ月お世話になりました。1房で1㌔以上もある「天山」とか、長めの粒でとげとげした感じの「ゴールドフィンガー」など見たこともない新品種に驚きました。また、干しぶどうを作って有名ホテルと直接取引するなど、農業生産に「食」を取り入れた経営にチャレンジされていました。
私 将来は?
T 農家になるには回り道しましたが、実はそれも必要だったことなんだと、今は思っています。これまでのご縁を大切にしながら、食や観光も取り入れた農業経営を目指したいと思います。

 

 農と食は車の両輪。T君にはシェフで培った経験を生かし、新たな農業経営の形に挑戦してほしいです。
(福岡県農業大学校校長)

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20. 雇用就農 -雇用就農という選択-

 福岡県の耕地面積約8万4千㌶のうち8割が水田です。だから米作りは「農家の共通語」のような存在だったのですが、今や農業で食べている農家の6割は65歳以上。全国的に「集落営農組織」という仕組みをつくり、個ではなく集団で水田を守ろうという動きが広がったのはそのためです。
 一方で、水田に限らず野菜などの園芸農家も含め、10㌶以上の大規模農家も増えています。経営安定のために法人化する農家も増加、県内の農業法人数は2015年、764に達し、この15年で倍増しました。
 それに伴い、近年では農業法人に就職して農業に携わる「雇用就農」という形も増えてきています。農家出身ではないB君(22)も、その形で就農を目指す一人です。

 

私 なぜ本校に?
B 農業高校を卒業し、すぐに内装業の会社に就職しました。新しい体験でそれなりに楽しかったのですが、やはり自分がやりがいを感じることができないと、長くは続けられない。そんな折、農業大学校に進んだ高校の同級生と話す機会がありました。農業を職業として目指す彼女がキラキラしていて、僕もやっぱり農業をやりたいという気持ちが大きくなってきたんです。
私 農家出身じゃないのに、機械操作が上手だね。
B 父が機械整備士をやっていたので、自然と機械を扱うのが好きになって。だからトラクターやコンバインを操作するのが楽しいんです。
私 農業の魅力って?
B 同じものづくりでも、農業は自然相手なので天候などにも左右されやすく大変です。だからこそ知恵や経験がものを言うし、工夫次第というところが面白く、やりがいもあるんです。
私 就職が内定しているA法人は面白そう?
B A法人は元々、食品ごみを飼料として生かし、養豚をする会社。豚ぷんは完熟堆肥にして販売していましたが、数年前からキャベツ作りの新しい部門も設けました。いわゆる循環型農業を目指しているんです。社会の役に立つ会社って魅力的です。

 

 農業法人の増加によって、農家の子弟ではなくても、農業に飛び込める条件が整ってきました。特に最近の若者は「やりがい」や「社会性」も重視して、給料や待遇だけでは職業を選ばないことが多くなっているようです。そういう意味でも農業は、さまざまな可能性を秘めていると私には思えます。
(福岡県農業大学校校長)

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21. 総合コース -ほとんどの作物を体験-

 農業指導者を育成するのが福岡県農業大学校(農大)の「総合コース」です。野菜や果樹など専門の品目は持ちませんが、入学して2週間ずつ野菜、花き、果樹、水田経営の四つの専攻コースで実習。その後、1年生の残りの期間は興味のあるコースを一つ選び、そこの学生と一緒に実習します。2年生では本校に隣接する県農林業総合試験場の研究室で研究する目も養い、県の普及指導員やJAの営農指導員などを目指します。最近は農業法人に就職する学生も増えています。

 

私 U君(20)は家が農家じゃないけど、なぜ農大に?
U 決定的だったのは中学時代の職場体験です。訪れた地元田川のパプリカ農家で「農業をやりたかったら農業大学校に行け」って言われたんです。
私 やる気満々だったんだね。なぜ総合コースを選んだんだろう。
U どんな農業をやるのか絞れなかったので、総合コースなら何でも教えてもらえるだろうと。思った通り、ほとんどの作物の栽培を体験できました。2年生では総合試験場の農産部で大豆の根粒菌について研究もしました。先生には試験研究についてみっちり鍛えられました。
私 寮生活はどう?
U 相部屋を嫌う人もいますが、僕は気に入ってます。夜遅くまで、農業のことや人生について真面目に話をすることなんて、今までほとんどありませんでしたからね。こんなことができるのも農業を目指す仲間が集まっているおかげです。相方の実家はイチゴ農家なので、休みの日には泊まりがけで手伝いに行くこともあるんですよ。
私 卒業後は?
U 今は農業経営のノウハウを覚えたい。そして農業で稼げるようになりたい。実は、稼げるようになったら、やりたいことがあって。
私 それは何。
U 今は大規模農業ばかりが注目されますが、僕は「自給自足的な農業」にこそ本来の姿があると思っています。そのことを子どもたちにぜひ伝えたいんです。
私 子どもたちに…。
U 小さい頃から本物の農業に関わってもらって、本物の野菜や果物を食べさせる。子どもたちの胃袋をつかめば未来の農業は明るくなるはず、と思うんです。

 

(福岡県農業大学校校長)

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22. 研修科(上) -1年後の自立を目指し-

 「実践力が付く」と人気が高まり、5年前に定員を20人に倍増したのが「研修科」です。高卒の学生が中心の「養成科」は2年間で卒業ですが、社会人を中心とした研修科は1年間。カリキュラムのほとんどが園芸品目の生産から販売までの実習です。

 1年後、経営の柱にしたい品目を定めイチゴ、トマト・ナス、アスパラガス・葉菜の3班に分かれて学びます。それ以外の品目も計画さえ立てれば作付けも可能。「1年後には農業を始める!」という決意で入学しているので、生き生きした人ばかりです。今回、その中から自動車メーカーT社の工場で働いていたMさん(26)を紹介します。

 

私 給料もいいし、安定した会社なのに、なぜ辞めてまで農業を?
M 仕事が嫌なわけでもなく、人間関係も良かったんです。車の組み立てにも慣れてきて、自分でもいい車を造ってるなあという自信も出てきました。一方で、それを評価してくれる声が聞こえるでもなく、だんだんと物足りない気持ちも湧いてきました。自分がやったことに対するお客さまの声とか評価を直接実感したいという思いがだんだん膨らんできて…。
私 そんな思いに応えてくれそうなのが農業だった!
M そうなんです。私の地元、朝倉にある農業法人では、従業員を雇用して大規模に米やトマトを作って直売しています。農業でも会社組織にして経営が成り立っているのを見て「これだ!」と思いました。
私 農業経験は?
M 家が兼業農家だったので、祖父がやっていたときは田植えや稲刈りの手伝いはやっていましたが、好きじゃなかったですね。でも、やるからには農業技術の基本や理屈が分かっていないとだめだ、と思い研修科に入りました。
私 で、どうだった?
M 農業をやるんだという同じ目標を持つ人が、こんなに身の回りにいて、一緒に作業できるのがとても刺激になっています。試験場の先生や、研修先のトップレベルの農家と人脈ができたのも大きな収穫です。
私 卒業後の計画は?
M まずアスパラガス栽培で生計を立て、3年後には規模拡大して会社にしたいです。農業は斜陽産業なんていわれてますが、この逆境の中にこそ、チャンスがあると私は信じているんです。

 

 次回、研修科からもう一人紹介します。
(福岡県農業大学校校長)

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23. 研修科(下) -いろんな経験が生きる-

 研修科の一日は午前8時半の朝礼から始まります。中には担当する野菜が気になり、朝7時ごろから手入れしている学生もいます。まずは班ごとに野菜の収穫です。校内の選果室で袋詰めして、10時ごろ近くのJA直売所4カ所へ出荷当番が出発。それ以外の学生は、野菜の手入れの実習を昼まで続けます。
 午後は引き続き実習ですが、養成科の授業にオブザーバーとして参加することもできます。「野菜の栄養診断・施肥論」「病害虫・雑草論」「土壌管理論」などの基礎から、イチゴ、ナスなどの栽培各論、農業簿記などが、そのカリキュラムです。1年後には就農するわけですから一日中大忙し。皆やる気満々で、いつも明るい声が飛び交っています。
 さて、今回はかなり回り道をして入学したYさん(40)を紹介します。英国の大学に留学後、東京で環境問題に取り組んできたそうなのですが…。

 

私 なんでまた農大に?
Y 田川(福岡県)に両親がいましたし、いずれは帰ってくるつもりでした。そのときは、地元に何か貢献できることをやりたいと。古里の未来を考えると、やはり農業だと思ったんです。地元の普及指導センターに相談したら、まず農業技術を身につけるため、地元の農家での研修を勧められました。ただ、何を作るのか迷っていたので農業大学校に入ることにしました。
私 経営の方向は決まったかな。
Y ナスは地元にJAの部会があり、夏から秋にかけてはそれを経営の柱にします。それに冬から夏に出荷する白ネギを組み合わせれば、1年を通して収入が期待できそうです。どちらもきちんと栽培できるよう猛特訓しました。
私 研修科の良さはどこにあると思う。
Y 白ネギは研修科の栽培品目にはなかったので、ぜひ作り方を勉強したいと先生に相談したら「隣の試験場の先生に教えてもらおうか」とすんなり栽培できることに決まりました。こんな自由度の高さが魅力ですね。
私 将来の夢は?
Y 地元に白ネギの産地をつくって雇用を生み出し、地域に元気をもたらしたいです。今までの経験も生かし、私なりの農業のスタイルを見つけたいですね。

 

 地域農業を元気にできるかは、やはり「人」。いろんな経験や技を持った人が地元に戻ってきてくれると、きっと農業・農村も面白くなると期待しています。

(福岡県農業大学校校長)

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24. エピローグ -花を咲かせ実を結ぶように-

 今年卒業した61人のうち約7割が自営または雇用の形で就農し、残る3割はJA、市場、農業関連企業、社会福祉法人などへ就職しました。
 1980年、農大が開校してもうすぐ40年。卒業生は2千人を超えました。激動の時代の中で、最も変わったのは当初、ほぼ全員が農家の子弟だったのが、今では半分が非農家出身になったことです。
 土地や設備、地縁血縁など農家出身の方が有利なのは事実です。しかし、それがないことは決して悪いことではないと思います。知恵を使い、一生懸命やっていけば必ず道は開けるし、いずれ農村を未来にしっかりとつなぐ人になれると信じているからです。
 連載では、農業を一生の仕事として志した学生たちの群像を描きました。彼らと話す中で印象的だったのは「競い合う都会」より「助け合う農村」の仕事や暮らしの方に、生きる魅力を敏感に感じ取っているのではないかということです。そう思える場面が随所にありました。
 「校長先生、これだけの被害(九州豪雨)なら、今年は先輩も収入がなかとでしょ。専業農家なのに…。はよ復旧させてやらな!」「農家がどんどん減っているけど、年を取っても生涯現役で、みんなで楽しく農業を続けられる仕組みを地元につくりたいです」「農業は、世のため人のためになる、なくてはならない偉大な仕事。私は今、やることが見つかったという意味でとても幸せです」「やっぱり、やる気のある新しい農家が増えんと活気が出んです。自分も頑張って、地域をつくる一人になりたいです」
 学生たちは、農大でいろんな仲間と出会い、自分なりの視座を持てたのではないでしょうか。夢に向かって農業・農村で活動し、新たな風を吹かせ、そこに新たな文化がうまれることを願っています。
 きょう4月11日は農大の入学式の日。高校を卒業したばかりの若者や、社会人経験のある青年も、それぞれの夢の種を持ち、農大の門をくぐってきます。私たち教員も気持ちを新たに、彼らの種が花を咲かせて実を結ぶための土台づくりができるよう精進します。卒業生が夢の種をどう育てていったか、いつかその姿をお伝えできる機会があればうれしい限りです。ご愛読ありがとうございました。

 

(福岡県農業大学校校長)

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